どんなに大切な存在でも、それだけを鮮明に覚え続けることはできない。 誰かのことを思い出す時に、景色やその人のそばにある物を辿ることでその存在を感じる時があった。 身体よりも側にあるものやその景色の方がその存在を証明していて、物や景色は身体を失った人の身体と居場所であり、 遺された人にとって無くなった身体の形ではないだろうか。