建築科の課題文には予め様々な条件がありますが、卒業設計にはありません。
きっかけを自分の内側に求め、主観を積極的に頼りにして設計をしよう。
これは、機能性とか、合理性とか、そういうものの前段階。
純粋に好きな形が、縮尺のある模型の中に落とし込まれる様子。
パッと思い浮かんだ形を紙の立体にするところからまず、はじまります。
特に意味があるわけではなく、ただなんとなく個人的に好きだなと思う形を紙に描き、立体にする。
それらを掴んで回して見て、そこにどんな空間が存在するか、その可能性を描き出した。
しかし、このままでは「建築」にならない。
立体群を当てはめる、当てはめ先としての、敷地。
敷地とは、ここでは“変数”であり、別の敷地ならば形態もそれに応じて変化する。
今回例にとったのは、神奈川県逗子市にある埋立地の海岸線。
アスファルトで舗装された道は、現在行き止まりになっていて、眺望は良いものの、上手く使われていなかった。
ある立体は初めからすんなり収まり、ある立体は別の立体に付随するようにして収まるなどする。
元々のプロポーションは変えず、大きさを変えたり、敷地の外形線で切り欠いたり、壁厚を与えて内部空間を作ったり。
実際の敷地に当てはめることで、少しずつ変形し、建物ぽくなっていく。
様々な操作を加えた立体の内側を、1/15、1/30などより大きな模型を作って覗き込む。
この内部空間は、変数を与えた故の結果。最初の立体群だけでは生まれない、ということ。
思うにこれは、私と敷地の対話である。
8個の立体は、私自身。私の内面を8個の立体に分散し置き換えた、形と考える。
「形態」という言語に置き換えることで、敷地との対話を試みる。
立体と敷地を混ぜ合わせることで、敷地は立体から影響を受けて地面が掘られたり、シルエットが変化したりすることで、より豊かな体験が繰り広げられる。
敷地から影響を受けて立体が変形することで、あやふやさから具体性を獲得し、新たなバリエーションとして私はそれを受け入れる。
敷地は、私の外の世界を象徴している。
内側から外側へ、外側から内側へ、影響を及ぼし合うことで、感覚と論理の行き来をする。
敷地という外側に答えつつ、匿名性とは全く逆の、内なる精神の探求を同時に行っていたように感じる。