令和2年度 東京藝術大学 卒業・修了作品展
美術学部/大学院美術研究科修士課程
2020 Tokyo University of the Arts Graduation Works Exhibitions
Faculty of Fine Arts Bachelors and Masters degrees
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卒業・修了制作作品集の販売につきまして
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建築[学部]
|Architecture [Bachelor]
無為|尾前 勇向
栂材 鋼 鉄
Inaction | OMAE Yuga
tsuga,steel,iron
H400cm × W504.5cm × D254.5cm
1.素材の扱い
我々建築家は、一部の例外を除き、図面を理想の線で描き素材を定めてゆく。しかしその判断は、一般的な素材の特徴によって合理的に選択されるもので、現場で使われる実際の素材に対してなされる判断ではない。
これは扱うスケールの大きさを考えると当然のことであるが、素材にはもちろん個体がある。建築は、仮に寸法の等しい材があったとしても、個体としてはが異なる素材の組み合わせである。
2 素材に入っている手
例えば木であるならば、我々の手元に届く木材は我々が形作るよりも前に、既に様々な操作を受けている。彼らは、伐採され製材され、そしてある規格にきざまれた途端、素材としての生が始まる。人の手によって形を変えられることは、もとい素材として扱われることは、人間の一方的で暴力的な手筈である。木にとってそれはハプニングであり、寸法等の素材としての振舞いは人間が施した行為によって決定されてゆく。
私はそんな常に受け身の姿勢をとらざるを得ない木材が、唯一主張することのできる自発的な能動性は、「暴れ」であると考えた。ある人間の意図によって、鋸が入る。そしてその位置にやその後の乾燥のされ方によって、反ったりねじれたりといった暴れという木材の主張は定められる。施されてきた手を含み、今私の(あなたの)目の前にある姿こそが「素材」であり、「素材」とは、常に現在の中に生きている。
次項の写真に示される124本の栂材は、全てが同じ寸法・値段で売られていた規格材である。
3‐1 制作概要
この制作は、その「暴れ」を運用する実践である。
素材に手を加え造形する行為は、その素材に対し意味や役割を付加してゆく行為であり、素材の持つ形態的な純粋性を奪ってゆく。そこで、栂に一切手を加えず制作を進める。これは「素材」としての姿を肯定する行為である。そして構造や意味といった見立てを行うことなく、素材としての純粋な姿のみでの現象の提示を目標とする。
今回は、材を垂直に立てようとする行為のみを素材に施す。そしてその為に、L字鋼で二方向から挟み込むという最低限の材料の組み合わせを行った。
3‐2 制作概要
素材を当てはめたものを、図面として改めて描き起こす。各々の素材としての主張が可視化される。その主張は、人の操作に縛られぬ素材の自発的な造形として、図面上に表記される。人の行為によって生み出された線で多くが構成されることに対し、ただ唯一、木材は「暴れ」によって、人の設計から逸脱する。
この制作は、構想した理想の形に素材を押し付けるのではなく、人が素材へ向けるひとつの態度を示すことで得られる現象の、一つの習作である